代々木八幡―川を探して│BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

Writer

青野賢一

#004

代々木八幡―川を探して

2013-05-24 19:00:00

何とはなしに開いてしまう本というのが何冊かあって、『東京迷宮考 種村季弘対談集』(青土社)もそのうちの一冊なのだが、ページをパラパラと捲って読むうちに、松山巖との対談の中に、気になる箇所を見つけた。「くぼみ町の必然性」という題のもとに繰り広げられたこの対談(初出は雑誌『東京人』)は、東京の中でも、台地と低い土地の間にあるような町の性質―崖の下や川のほとり、山の手と下町が出会う場所など―を明らかにしながら、探偵小説が生まれる場所としてのくぼみ町を論じ、最後に武蔵小山、西小山を例に、くぼみ町の単身者向け性格を見いだして、それを東京全体に拡張するところで結ばれている。くぼみ町には、安くて旨い飲み屋が多いという話から「安くて、そういう意味じゃ、下町ですよ。軍需産業ではじまったから家族もいるんでしょうけど、単身者の町ですね。もともと東京がそうだけど。」「単身者っぽいでしょうね。もともと東京の食べ物は、てんぷらにしても、そばにしても、寿司にしても一品料理で、独身者が食べるものですね。駅前の立ち喰いそば、プラットホームのカレー、東京はそういう思想をずっと持ってきたんじゃないかな。(後略)」と続くこの対話から、一軒の立ち喰いそば屋のことが私の頭に浮かんだ。頭に浮かんだと言っても、実は訪れたことはない。信頼出来る友人たちが、口を揃えて「あそこは旨い」と言う立ち喰いそば屋があるのだが、その店のことが思い浮かんだのだ。
その店は、代々木八幡にある。事務所から近いこともあり、この界隈は頻繁に行っている。しかし専ら夜に「NEWPORT」など馴染みの店に寄るばかりで、実はあまりよく知らないのだ。件の立ち喰いそば屋(「八幡そば」という)も、前はよく通っていたのだが、既に閉店している時間なので、全く認識していなかった。そんなこともあり、日中、この町を改めて訪れてみようと思ったのだった。

image2 「八幡そば」の冷やしかき揚げそばとおいなりさん。噂に違わず美味しい。

あくまで私見ではあるが、代々木八幡というエリアの地理的なイメージは、南北は富ヶ谷交差点から代々木八幡宮まで、東西は代々木公園から富ヶ谷小学校あたりまでだろうか。西にもう少し行くと代々木上原と呼ぶ方がぴったりくる印象だし、山手通りを北上してゆくとほどなく初台になる。井の頭通り以南は、神山町という雰囲気だろう。そう考えると随分コンパクトな町と言える。そしてこのコンパクトなエリアの下には、川が流れている。宇田川、そしてその支流である河骨川(こうぼねかわ)だ。

image3 宇田川遊歩道の入り口のある由来。少し前までは遊具もあったようだが、今はない。

川といっても、現在、水が流れているのを確認出来るのは代々木大山公園近くにある水源部分だけ。それ以降は暗渠化(あんきょか=水流にふたをして地下水流化すること)されているので、水の流れを見ることは出来ない。宇田川は、渋谷川水系の川のひとつであり、先の水源から代々木上原駅前に下り、小田急線の線路とほぼ平行に代々木八幡駅まで流れ、神山町の商店街を抜けて宇田川町に至り、最終的にはJR渋谷駅近くで渋谷川に合流するものだ。代々木八幡駅そして代々木公園駅八幡口の前の通りは、つまり川なのである。そこからもう少し井の頭通り方面に行くと、左手が宇田川遊歩道となっていて、川はその下を流れている。また河骨川は、初台一丁目あたりと代々木四丁目あたりを水源とし、参宮橋駅方面から小田急線に沿って代々木公園の西側を流れ、先の宇田川遊歩道の入り口あたりで宇田川と合流する。童謡「春の小川」は、この河骨川のことを歌ったものだ。

image4 「春の小川」の由来が書かれた立て札。すぐそばに石碑もある。

代々木八幡界隈の裏通りを歩いていると、蛇行する細い路地に往事の川の流れを見て取ることが出来る。このあたりは元々水田地帯で、宇田川、河骨川の細い支流が走り、田を潤していたそうだ。代々木八幡は、いわば川とともにある町だったのである。さて、ここで話は冒頭に戻る。下町と山の手が出会う場所でこそないが、代々木八幡は間違いなく川のほとりのくぼみ町と言える。そう考えると、駅前の立ち喰いそば屋が旨いのも、然もありなん。他にもひとりでふらりと入れて、美味しい食事とお酒を楽しむことが出来るカフェレストランやビストロ、焼鳥屋、バーが幾つもある。自分が感じていた漠然とした居心地のよさの理由が、何となくではあるが分かった気がした。

image5 河骨川の支流が暗渠化されたと思しき路地。こうした路地はこのあたりに沢山ある。

ここまで来たらせっかくなのでと、代々木八幡宮にお参りしてきた。最近ではパワースポットとやらで人気らしく、平日の昼下がりでも10名ほど参拝しているひとを見かけた。急勾配の階段を昇って境内から本堂の方へ向かうと、凛とした空気が流れていて心地よい。この代々木八幡宮、東側には河骨川、西側(山手通り側)にはこちらも渋谷川水系の初台川が流れており、その間のV字地帯の高台にある。水害があった際には、おそらく避難所としても機能していたのではないだろうか。

image6 代々木八幡宮の境内から、入り口の鳥居を臨む。初夏の木漏れ日が美しい午後。

image7

ドイツ文学者であり、幻想文学、美術、映画など様々なジャンルを横断的に読み解いた種村季弘が、東京について語った対談集。/
『東京迷宮考 種村季弘対談集』種村季弘(著)青土社刊

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青野賢一さんINFORMATION

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。

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