四谷・荒木町―池の底の花街│BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

Writer

青野賢一

#010

四谷・荒木町―池の底の花街

2013-08-19 23:12:00

先日、とある企画が一段落したので、打上げと称して四谷・荒木町に出向いた。荒木町はこれまでも年に数回程度、夜に訪れたことがあるのだが、一向に全体像が掴めない。大体、人に連れられて行くことが殆どだし、また当然ながらアルコールも入っているので、お店の場所や名前についての記憶が甚だ曖昧ということも当然あるのだが、それ以上にこの街の迷宮のようなつくりが、歩く者を惑わすのだろう。

image2 細い路地に飲食店が軒を連ねる。荒木町の面白さのひとつは、こうしたお店探しにある(迷うが)。

荒木町の最寄り駅は、地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅。大雑把に言うと、新宿通りと外苑東通りの交わる四谷三丁目交差点を靖国通り方面に進んだ右手のエリアが荒木町ということになる。東側は、津の守(つのかみ)坂通りまで、北側は靖国通りよりは少し手前までである。元々この一帯は、江戸時代に、美濃国高須藩藩主・松平義行(松平摂津守)の上屋敷があったところで、津の守坂通りの名は、このことに由来している。訪れたことがある方には分かると思うが、荒木町はいわゆる窪地である。それもかなりの高低差があって、それ故、幾つかある階段も急勾配。上り下りするのもなかなか大変だ。すり鉢状になった一番下の方には「策の池(むちのいけ)」がある。徳川家康が鷹狩りの際に、馬の鞭の汚れをここで落としたとされることから、この名がついたそうだ。現在は非常に小さな池であるが、松平義行が上屋敷を構えた頃は随分と大きな池であり(最長部で130mあったとか)、4mほどの落差のある天然の滝が注ぎ込んでいて、見事な景観を誇っていたということである。

image3 竹垣の向こう側が現在の「策の池」。左手には「津の守弁財天」がある。この辺りがすり鉢の底にあたる。

平成9年に行われた荒木町の下水道再構築工事のとき、地下約10mのところから石組みの暗渠が発見された。この石組み暗渠は長さ約53mあり、昭和初期に敷設された鉄筋コンクリート管と接続されていて、公共下水道として現在も十分な機能を果たしているのだが、これは松平義行が屋敷を建てる際に、池の水を排水するために作ったものだということがその後の調査で判明した(東京都下水道局「ニュース東京の下水道」No.199を参照)というから驚きである。言われてみれば、階段の下にあるエリア(つまりかつての池の底)には、暗渠と思しきところが幾つも見られる。事程左様に東京は水に親しみ、水を治めてきたのだ。

image4 明らかに暗渠と思しき小道。荒木町にはこのように昔ながらの石畳のところもまだ残されている。

1872年(明治5年)の廃藩置県により、上屋敷があった一帯は1874年に荒木町となり、一般市民にも知られるようになった。見事な庭園、池、滝が人気を呼び、一躍東京の景勝地となった荒木町には、来街者向けの茶屋などが出来、三業地すなわち料亭、芸妓置屋、待合の三業の許可が下りた花街として栄えてゆくことになる。今も荒木町を歩くと、小粋な小料理屋などを見かけることがあるが、それはこうした歴史があるからだろう(とはいえ昔の料亭のスタイルで営業している店は殆どないようではあるが)。荒木町の金丸稲荷神社には、寄進者として「四谷三業組合」の名が刻まれている。

image5 車力門通りのちょうど中腹あたりにある「金丸稲荷神社」。荒木公園という小さな公園の角で存在感を放っていた。

荒木町内にある大きな通り(といってもこぢんまりした街なので推して知るべし)は、車力門通りと杉大門通り。その間に柳新道通りというやや細い道がある。これらの通りを繋ぐように細い路地が無数に存在する。新宿通りから車力門通りに入ると、街灯に「四谷荒木町」の文字があるので、そこから谷底の方に緩やかに下ってゆくのが、まず間違いないルートだろう。江戸時代は物資運搬の荷車が通る道だった車力門通りは、勾配がきつくなく、歩きやすい。左右に目を移すと、次第に飲食店が増えてゆくと同時に、先に述べた細い路地を幾つも見つけることが出来る。この左右の路地に入り込むと、自分がどこにいるのかが怪しくなってくる。今回、夕暮れ前に荒木町を歩いてみてもそうだったのだから、夜の帳が下りてからだと尚のことである。そしてまた、路地を辿る方向が変ると『猫町』さながら、印象がグッと変る。これも特殊な地形の成せる技だろう。

image6 このような急勾配の階段が数本あって、これを通って策の池方面に行くことになる。それぞれの階段は段差や間隔も異なるのが面白い。

すり鉢状になっている一番底、つまり策の池のところまで行ける道のうち、車が通行可能なのは一本だけで、それ以外は階段だ。それゆえ、底に向かって階段を下ってゆくと、不思議な静けさが訪れる。何せ四方を囲まれた底。東京の喧噪から隔絶した、とでも言えばよいだろうか。耳には蝉の鳴き声だけが届いた。

image7 谷底から見上げると、このように高い壁がそそり立っているところがある。高低差がお分かりいただけるのではないだろうか。

夕暮れ時に徘徊を終えて、再び車力門通りに出ると「おはようございます」の声が聞こえてきた。これからお店に出勤するひとたちの挨拶だ。お店の前を掃除するひと、打ち水をするひと……。ここからがこの街の本領発揮の時間である。汗をかきながら歩き回ったおかげで、喉が乾いた。今、ビールを飲んだらさぞかし旨かろうと思いながら、わたしはメトロの入口を目指した。



トリッピーで幻想的な表題作のほか、短篇、随筆、散文詩を収めた一冊。金井田英津子が画を担当した絵本『猫町』(パロル舎刊)もおすすめ。/『猫町 他十七篇』萩原朔太郎(著)清岡卓行(編)岩波文庫刊

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青野賢一さんINFORMATION

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。

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