六角橋商店街 その1│ロバート・ハリスの「A DAY IN THE LIFE」

ロバート・ハリスの「A DAY IN THE LIFE」

Writer

ロバート・ハリス

#003

六角橋商店街 その1

2014-01-06 14:37:00

 朝から家で執筆に追われていると午後の3時か4時ごろ、足がムズムズしてくる。家を飛び出して散歩に出たくなるのだ。
 家の前の坂を下ってしばらく歩くと東急東横線の白楽駅が見えてくる。この駅の手前の踏切を渡って少し行くと六角橋商店街に出る。
 この商店街には2本のメインストリートがある。車が走る大通りと、それに並行する 「ふれあい通り」と呼ばれる仲見世通り。
 アーチがかかる大通りは飲食店や薬局やパチンコ屋などが並ぶスタンダードな商店街で、朝と夕方には近くの神奈川大学に通う学生たちで溢れかえる。
 この横を走る道幅2mほどの「ふれあい通り」は昭和の匂いがプンプンと漂う一角。
 ここは戦後すぐに建ったバラックがそのままの形で残った仲見世で、木造の古い建物が重なり合うようにして建ち並び、豆腐屋から乾物屋、肉屋から八百屋、呉服店、おでん屋、靴屋、中華屋、煙草屋、ラーメン屋、ティールーム、シルバージュエリー屋など、新旧併せて100軒ほどの店がところせましと軒を連ねている。
 ぼくは大通りから「ふれあい通り」に入り、中ほどにある珈琲文明というカフェに行く。 ダークウッドの木が基調の店内にはクラシック音楽が流れ、コーヒーの甘苦い香りが漂っている。店は珍しく空いていて、ぼくの他にはテーブルに一組のカップルがいるだけだ。

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 ぼくはカウンターの席に腰を降ろすとマスターがサイフォンで淹れてくれたコーヒーを啜り、持ってきた本を読み、時おりマスターと音楽や野球やサッカーについて言葉を交わす。
 マスターの赤澤さんがこのカフェをオープンしたのは6年前。コブラ・ツイスト・アンド・シャウトというバンドのヴォーカルもやっている赤澤さんは月に一回、店で弾き語りのイベントを開いている。
 店には以前、芥川賞作家で「千の風になって」の作曲家の新井満さんがたまにやって来て、ぼくと赤澤さんと3人で本や音楽の話で盛り上がったりしたのだが、彼は去年、ハイジのような生活がしたいという奥さんの要望に答え、北海道に移住してしまった。
 「満さん、北海道で楽しくやってんのかな」ぼくが聞くと
 「ええ、この前会ったときには 幸せそうでしたよ。北海道の自然が肌に合っているみたいです。 “おれはもう一生、仕事なんかしないでのんびりやっていくんだ” って言ってました」と赤澤さんは笑う。
 「満さんらしいね」ぼくも笑う。
 「ハリスさんだったらどうします? 一生遊んでいけるだけのお金と時間があったら?」と赤澤さん。
 「う~ん、そうだな、もっと旅をして、3ヶ月とか半年単位で好きな国で暮らすかもしれないけど、ものを書く仕事は続けていくと思うな」とぼくは答える。
 そう、ぼくにはまだまだ書きたいことがたくさんある。きっと10年先も20年先も本を書き続けていくと思う。
 そんなことを思いながら持ってきた本のページを開き、小説の世界へと戻っていく。
 読んでいるのはコーマック・マッカーシーの『すべての美しい馬』。物語は始まったばかり。3人の男が馬に乗ってリオ・グランデ川を渡り、メキシコの荒野へと分け入っていくところだ。ぼくはこの本を原文の英語で読んでいるのだが、マッカーシーの文体は詩的でいて同時に泥臭く、荒々しい美しさに満ちている。
 どのくらいの時間が経っただろうか。
 珈琲文明の天井には星や雲が浮かぶ空の絵が描かれていて、間接照明によって26分ごとに夕暮れ時の茜色から星が瞬く夜空へと変貌するのだが、店に入ってから少なくとも3度か4度目の夜を迎えた気がする。

 ぼくは本を閉じて店をあとにし、仲見世から大通りへと出ていく。
 外はすっかり暗くなっていて、空にはいくつかの本物の星が瞬いている。
 大通りは駅へと向かう神奈川大学の学生たちや、買い物にやって来た主婦や親子やカップルたちで賑わっている。
 商店街のスピーカーから流れるいきものがかりの歌声と、人々の話し声や足音や車の音とが混ざりあって、不思議に心地良いBGMを醸し出している。
 ぼくは商店街のこの夕食前の賑わいが大好きだ。なんとなく幸せな気分になるのだ。
 人生ってやっぱり素敵だなと思いながら、ぼくはひとり家路につく。

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Photo by HABU

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ロバート・ハリスさんINFORMATION

ロバートハリス(Robert Alan Harris, 1948年9月20日 - )は、横浜市生まれのDJ、作家。血液型AB型。上智大学卒業後、1971年に東南アジアを放浪。延べ16年間滞在。オーストラリア国営テレビ局で日本映画の英語字幕を担当した後、テレビ映画製作に参加、帰国後FMステーションJ-WAVEのナビゲーター(DJ)や、作家としても活躍中。 自らの体験談は、若い世代を中心に共感を呼んでいる。


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