上野―暖かな季節の始まりと二つの展覧会│BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

Writer

青野賢一

#002

上野―暖かな季節の始まりと二つの展覧会

2013-04-16 20:24:00

暖かな季節がやってくると、下町に足を向けたくなる。春から夏にかけての下町の風景は、何故だか心躍るのだ。桜をはじめとする季節の植物、店先に並ぶ淡い色の和菓子。これらは言ってしまえばどこでも目にすることのできるものではあるが、それらを包む空気のようなものが下町にはある気がする。

東京都美術館「エル・グレコ展」、国立西洋美術館「ラファエロ展」という二つの大きな展覧会が開催されていたこともあり、比較的短期間のうちに、二度上野を訪れた。一度目は春分の日。季節の区切りであるし、この日は陽気もよかったので、ふらりと「エル・グレコ展」を観に行ったのだが、まさかの休館日で、同じ上野公園内の「ラファエロ展」を鑑賞することにした。夕方に差しかかる時間帯だったので、休日ではあったが比較的落ち着いて観ることができた。ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並んでイタリア・ルネサンスを代表する画家。ダ・ヴィンチやミケランジェロの作風を取り込みながら、活き活きとした人間的な躍動感と垰やかな気品を感じさせる作品を生み出し、その影響力は19世紀半ばまで続いた。代表作のひとつ『大公の聖母』を含む総数23点の作品が4つのテーマに沿って展示されている本展は、日本はおろかヨーロッパ以外では初の大規模展というものであり、ラファエロの世界を俯瞰するのには十分なものであった。興味深かったのは、ラファエロが、元の絵をエングレーヴした「版画」(左右は反転する)を多数売りさばいたということと、彼の絵が「マヨリカ陶器」の絵柄として採用されたことである。複製技術によって美術が大衆化する、というのは、江戸時代の浮世絵や引き札を想起させる。

image2 国立西洋美術館エントランス近くのロダン「カレーの市民」。

引き札とは簡単に言うと江戸時代から明治、大正にかけて盛んだった、ちらしとかビラのようなもの。商品の宣伝だけでなく見世物興行の宣伝にも使われた。見世物興行は、寺社での「御開帳」に合わせて開かれたもので、庶民の娯楽のひとつとして非常に人気が高かったものである。竹を編む籠細工の技術で『三国志』の名場面や釈迦涅槃像を巨大なスケールで制作する「細工物」、やや時代が下ると「生人形」「動物」「軽業」などが見世物小屋に掛けられた。いずれも、木戸銭を払って観に行けばご利益があると信じられていたもので、御開帳=滅多にお目にかかれないものと相似形を成し、特に動物の見世物は、象やらくだなどの珍しいものが好まれた。見世物直系というわけではないが、後の動物園の賑わいも、こうした珍しいもの見たさという心理が働いていたことは想像に難くない。日本で最も古い動物園は、ご存知のようにこの上野にある「上野動物園」である。1882年(明治15年)に農商務省所管の博物館付属施設として開園した上野動物園は、当初は日本産の動物が多かったそうであるが、とはいえ見たことのない動物もまだまだたくさん存在していただろう。また、開園から数ヶ月の後、日本初の水族館、観魚室を開き「うをのぞき」の呼び名で親しまれたそうである。

image3 偶然出会った桜。満開まであと一歩というところだった。

話が随分と遠くまで行ってしまったが、「ラファエロ展」を観た後に、目的もなく上野を歩き回ってみた。地図などは無論見ない。適当に歩くと思いがけないものに出会うことも多いのだが、この日は随分と花開いた桜を見ることができた。そこからまた歩みを進めると、思いがけず湯島に出た。メトロの入り口近くにあった喫茶店に入り、コーヒーを注文したら、小さなドーナツ(個別包装された)が一緒に出されて何とも嬉しい気持ちになる。喫茶店を出て、記憶を頼りに御徒町まで行き、アメ横を流して上野駅に戻った。

image4 アメ横の喧噪からほんの少し脇道に入るとある「下谷摩利支天徳大寺」。

春分の日に見そびれた「エル・グレコ展」は最終日に滑り込むことができた。没後400年を迎えるエル・グレコ(1541-1614)は、ギリシアのクレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマを経てスペインはトレドで創作活動を行った画家。ベラスケス、ゴヤとともにスペイン三大画家のひとりとされている。前述のラファエロが没した1520年から1650年の間は、美術史における(狭義の)マニエリスム期であり、グレコはその代表的な画家である。本展では、肖像画、その延長線上にある聖人像、宗教画(彼もまた版画を売ることを厭わなかった)、祭壇画とそれを収める祭壇衝立の設計などに携わったグレコの作品をまとめて観ることができる充実したものであった。とりわけ、幻視や天上世界といった「見えないもの」を描いた作品や、下から見上げることを想定し、歪ませたり引き伸したりすることで絵に類希な動きを与えることとなった「聖母戴冠」が印象深かった。

image5 「エル・グレコ展」を開催していた東京都美術館。窓と鏡面に映る空。

この日も夕方になってしまったのだが、随分と日が延びたこともあり、閉館後、次の用事までの間、上野公園内を散策。大噴水のそばの広場では、80年代の原宿を彷彿とさせるローラー族が輪になってツイストを踊っていた。見上げると、前日の荒天の名残か表情豊かな雲が夕暮れに色を添える。園内のカフェ2軒を覗くもあいにく行列ができていたので、入り口付近にあるカフェテリアでアイスコーヒーを買って、外のベンチに腰掛けて、飲んだ。思いのほか美味しかった。やはり上野は暖かい季節がいい。

image6 上野恩賜公園入り口からスカイツリー方面を臨む。夕陽と雲のせめぎ合い。

image7

江戸時代の「見世物」を、一次資料にあたり丁寧に読み解いた一冊。信仰と娯楽はかつては隣り合わせであったことを知る。/
『江戸の見世物』川添裕(著)岩波新書刊

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青野賢一さんINFORMATION

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。

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