ノーストレス
2024-11-09 11:09:00
「綺麗ですね、いやー本当に綺麗ですね」こんなに褒められたのは、いつぶりでしょう。しかし、私は苦しさに涙を浮かべて何も答えることができません。「こんなに綺麗なのは、なかなか見ませんよ!ほら!西山さんも見てください!ほら、ほら!」顔をしかめながらモニターを見上げると、そこには私の胃。そうなんです、褒められていたのは胃の中なのです。バリウム検査がしんどくて、約20年ぶりに胃カメラをやった私。あの頃に比べて技術も発達しているだろうし、鼻からの方が楽と聞くし、と意を決したのですが、やっぱりツラい。とっても苦しい。だから目を閉じて呼吸に集中したいのに、見せたがりの先生がそれを許してくれません。モニターに映った私の胃は、うねうねと波打ち、新鮮なミノのようなピンク色ではありますが、他の人の胃を見たことがないので比べようがありません。「ね、綺麗でしょ?」「んぐぐ…(早く抜いてください)」処置を終えて、ティッシュで涙をぬぐう私に、先生は満面の笑みで言いました。「いやー、本当に綺麗な胃でした」「ああ…、そうなんですか。ありがとうございます」「西山さん、あなた、まったくストレスないでしょ!」「は!?そんなことないですよ!」と思わず大きな声が出てしまいました。まったく、何なのかしら。むしろ、その言葉がストレスだわよ。ぶつぶつ。と思ったのですが、にこにこしている先生を見ていたら、すぐに、あれ?でもそれって良いことだよなと考え方が変わりました。自分がストレスと思っていたことは、実はストレスではなかったのか。ストレスのない私、万歳!病院をあとすると、いつもは鬱陶しいと感じる渋谷スクランブル交差点の外国人観光客さえもが愛おしく見えました。ウェルカムトゥ・ジャパーン!サンキュー、ノーストレス!ストレスがないって最高ですね。そして、この原稿を書いている今、私のノーストレス度合いは極致に達しています。なぜなら、私は今ハワイにいるからです。
ハワイに来るのは10年ぶり。初めて来た20代の時は「ふーん、こんなところか」という印象で、アラスカでオーロラを見た帰りに寄った30代の時は「ふーん、まあまあ良いところかも」という感じで、今回、3度目を迎えた40代では「わー!最高!あいらぶハワイ!」という変化を遂げました。これが加齢によるものなのかはわかりませんが、積極的に行動する若い時と違って、この旅では全力で何もしないことに徹しています。泳いで食べて寝るだけ。もちろん、今この原稿を書いていることは仕事というくくりなのですが、青い海を眺めながら打つキーボードは「テケテケテケ」ではなく「パンパカパーン」という感じです。この土地の空気は、どこまでも人を穏やかにしてくれます。バスがなかなか来なくても、まったくイライラしないのは楽園の神秘でありましょうか。昨今、円安下でのハワイ旅行の物価に関するニュースをよく目にします。家族で朝食にパンケーキを食べて2万円みたいな。1人旅なのでそこまでお金はかかりませんが、そもそもハワイで食べたいものが思いつかなかったので、米と納豆を持参しました。キッチン付きのホテルなので、あとはこちらで買った卵を調理するぐらい。毎朝、適当な時間に起きて散歩をして、アサイーボウルならぬナットゥーボウルを食べて、泳いで、本を読んで、ランチをして、また泳いで、本を読んで。そして夜は白ワインを飲みながら部屋でNetflix三昧。普段は観られないラブコメをここぞとばかりに堪能しています。何もしないって最高。働かないでいいって最高。よく「働くことが生きがいです」と言っている人がいますが、たぶんそれは頭がおかしい人です。ハワイでのんびり過ごしているとそう思います。急に降り出した雨も、なかなか繋がらない部屋のwifiも、通りの向こうにあるユースホステルの騒音も、ここでは何もストレスになりません。唯一といえば、昨日、ロイヤルハワイアンセンターで私にヒルトンの不動産を売りつけようとした日本人女性ぐらいのもので、それも今日となっては「彼女も仕事なのだから、仕方がないよな」と。ああ、ハワイに不動産なんて夢のような話。こちらに来て、あまりの居心地の良さにハワイで暮らすためにはどうしたら良いだろう?どんな仕事ができるだろう?と考えましたが、すぐにハワイ在住限定のマッチングアプリはないのだろうか?という他力本願シフトに変更。それほどまでに今の私は何もしないモードです。さあ、ハワイ滞在も残すところ数日、原稿も送ったことだし、さらに全力で何もしないことに徹しようと思います。
2024.11.11 配信
日本の女優、作家。東京都出身。
大学在学中の1997年、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、女優として活動。
最近は小説やテレビドラマの脚本執筆など、活動の幅を広げている。
著書に『色鉛筆専門店』『しょーとほーぷ』『ワクちん』『バンクーバーの朝日』などがある。
オフィシャルサイト→FLaMme official website