青い星通信社│西山繭子の「女子力って何ですか?」

西山繭子の「女子力って何ですか?」

Writer

西山繭子

#259

青い星通信社

2025-01-27 11:16:00

 先日、家のWi-Fiが突如つながらなくなるというトラブルに見舞われました。ルーターの電源を一度落としたり、マニュアル通りのことを試してみましたが回復ならず。その日はちょうど〆切だったため、原稿を仕上げてからしかたなくパソコンを持って近所のサンマルクへ向かいました。家で担当者へのメール文も作成し、あとは送信をするだけという状態にしたのは、使う駐輪場が1時間までは無料だったから。原稿を送り、コーヒーとチョコクロでほっと一息。Wi-Fiがつながっていれば、かからぬ出費だったなあと思いつつ、たまにはこんな時間も良いかともぐもぐ。頃合いをみて店を出ました。そして駐輪場の精算機を操作。するとそこには『100円』の表示が。二度見ならぬ百度見。そんなはずは!と思い、いまいちど駐輪番号を確認し、精算機のタッチパネルを押す私。しかし、やはり『100円』の表示。この私がそんなミスをするなんてと心臓をバクバクいわせながらお金を払い領収書を見たところ、無料時間から1分が過ぎていました。この1分は59秒も1秒も同じなわけで、きっと私は1秒だったと思うと悔しくて悔しくて、チョコクロの他にじゃがバタデニッシュも食べれば良かったじゃんとしょんぼり。そのあとWi-Fiを回復させるべく通信業者やプロバイダーとやり取りをすること半日、ここ最近のこういったトラブルはネットやチャットで済ませるために、とにかくオペレーターとのやりとりに行きつかない。電話で話した方が早いと思っている我ら年寄りにとっては、まったくもって不便な世の中です。ああ、気づけば不平不満ばかり。良くないですねえ。
 そんな心を浄化するため、大寒の日に西山繭子はさらに寒い北へと向かいました。目指すは北海道美深にあるホテル『青い星通信社』です。草原のなかにぽつんと立つ小さな美しきホテル。2019年にオープンしたこのホテルのオーナーは元編集者のHさん。私を物書きの世界にいざなってくれた方であります。今から20年以上前、撮影の休憩時間にヘアメイクさんの「休みの日は何をしているの?」という問いに「妄想」と答えていた私。これを耳にしたHさんは「この子に何かを書かせたら面白いのでは」と思い、被写体としてそこにいた私に文章を書くことを提案してくれたのです。そして、その時のカメラマンであり作家でもある小林紀晴さんと『北ホテル』という同じテーマでそれぞれが短編小説を書くことになりました。そのあともHさんは私に小説連載の場を用意してくれました。そして数年後、書店には私の本『色鉛筆専門店』が並んでいました。それがどれだけ恵まれた環境であったかということは、その後いくつかの文学新人賞に応募した私が一番よくわかっているのですが、Hさんのおかげで私は物を書く楽しさを知ることができたのです。旭川から特急サロベツに揺られること1時間、雪が降り積もった美深駅のホームに降り立ちました。きんとした冷たい空気が肌をさします。駅舎に入るとHさん、そして傍らにはTさんが、にこにこと私を待っていてくれました。ちなみにお二人のことを私はイニシャルで書いておりますが、これは彼らがのっぴきならぬ事情で北国に行方をくらましたとかではなく、ネットのどこかにはお二人の素敵な写真も出ておりますので、ご興味のある方はぜひ。『青い星通信社』は、その昔官舎であった古い煉瓦作りの建物です。扉を開けると、あたたかな空間がゲストを迎え入れてくれます。そして暖炉の前には、我関せずな猫のアオちゃんが。このホテルがなければ、美深という町を知ることはなかったでしょう。大好きな二人が暮らし始めたこの町は、いつのまにか私にとっても大切な場所に。私が言うのもなんですが、本当に何もないところなんですけどね。何もないからこその穏やかな時間。ライブラリーにある本を読んで、昼寝をして、アオちゃんの隣で薪がはぜる音に耳を傾けて、そしてふらりと外に出てみたり。遠くまで広がる雪原は足跡をつけるのも憚られるほどに美しく、早い夕暮れを迎えた空は茜色にそまっています。ああ、生きているなあ、私。しかも幸せに。そして、これからも生きていくんだなあ、私。きっと幸せに。駐輪場で100円に泣いた人間とは思えない前向きさです。夜はみんなでワインを片手にわいわい。二人と過ごす時間は本当に楽しくて話題につきることがありません。特にこの小さな美深の町でおこる物語を聞くのが、私は大好きで、聞いているといつの間にか心の隅っこに「書きたい」という気持がふつふつと湧き上がってくるのです。東京に戻る朝、ライブラリーに置いてあった『色鉛筆専門店』を手にとり、久しぶりに自分が紡いだ物語を読みました。なかなか悪くないじゃない。ねえ、そう思わない?ふと目を向けると、アオちゃんが大きなあくびをしていました。

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2025.1.27 配信

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西山繭子さんINFORMATION

日本の女優、作家。東京都出身。
大学在学中の1997年、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、女優として活動。
最近は小説やテレビドラマの脚本執筆など、活動の幅を広げている。
著書に『色鉛筆専門店』『しょーとほーぷ』『ワクちん』『バンクーバーの朝日』などがある。

オフィシャルサイト→FLaMme official website