塩引鮭
2025-03-24 13:05:00
東京では桜が開花し、寒さも少しずつ和らいできました。そんな春の訪れにうきうきしていたある日、ガラケーにメッセージが届きました。いまだ現役で使っているガラケーは主に通話用なのですが、母も姉もahamoプランに変更してファミリー割引の国内通話無料が使えなくなった今、ガラケーを持ち続ける意味はさほどなくなりました。それでもスマホ1本にしないのは、休日のネットデトックスの際にガラケーが手元にあると安心だから。固定電話みたいな感じですかね。その固定電話にメッセージが届くというのは、よっぽどのこと。何だろう?と2つ折りの機種をパカリと開けば、そこには「高額当選おめでとうございます」の文字。「この度は『億万長者!大抽選会』にお申込みいただき、誠にありがとうございました」果たして、そんなものに応募しただろうか?メモ帳をさかのぼって確認すると、ここ数ヵ月で申し込んだキャンペーンは本麒麟、丸美屋、明治ブルガリアヨーグルト等々。うーん。億万長者は申し込んでいないなあ。しかし、そのメールによると3億円が当たっているとのこと。3億円あったら、今購入を悩んでいる5980円の赤いカーディガンを即買いできる。夏にニューキッズオンザブロックのコンサートを観にラスベガスに行ける。スーパーで値段を気にせず好きなだけ野菜を買える。そんなことを考えてから大きくひとつため息をつき、迷惑メール報告という機能を使って夢の3億円を削除。いまだにこんな類の迷惑メールがあることに驚きますが、逆を言えば引っかかる人がいるということなのでしょうね。人間、勤勉に生きなくてはなりません。勤勉に生きているからこそ、たまにする自分へのご褒美が嬉しいわけです。そう、ご褒美です。ということで先日、JR東日本のキュンパスを使って新潟の村上まで鮭を食べに行ってきました。
私が村上の塩引鮭の存在を知ったのは立川志の輔さんの『怪談牡丹灯篭』での枕のことでした。談志師匠に送られてきた村上の塩引鮭がどれほどまでに美味しかったか、それをあの話芸で語られた日にはもうあなた、たまりませんよ。いつか食べてみたいと思って数年、新幹線と特急列車が1日1万円で乗り放題になるキュンパスの存在を知って「これは行くべし!」と村上へ向かいました。乗り込んだ『とき307号』は一路新潟を目指します。新幹線の大きな窓から景色を眺めている時「もし自分がここで暮らしていたら」と考えることがよくあります。あのスーパーで買い物をして、このあぜ道を自転車で走って。あのアパートに暮らしたら、隣人はどんな人だろう。今とは違う人生を歩んでいる自分を想像してみます。ただ、どんなに想像してもその世界でもやはり私は一人なので、とことん一人が好きなのだなと。新幹線がいくつものトンネルを抜けて越後湯沢に入ると、あたりは一面真っ白になりました。その瞬間、後ろに座っていた若い女の子が「きゃー!まじでカワバタの気持ち、超わかる~」とはしゃいだ声をあげました。彼女と同じく、新幹線に乗っている多くの人が雪国の一節を思い浮かべたことでしょう。文学の力は偉大なり。新幹線は予定時刻ぴったりに新潟駅に到着。ここから特急いなほに乗り換えて村上を目指します。今回、この特急いなほに乗ったおかげで私は47歳にして「新発田」が「しばた」だと知りました。ずっと「しんはつだ」だとばかり。また1つ賢くなった西山です。そして東京の自宅を出発してから約3時間、予約をしていた井筒屋さんに到着しました。かつて旅籠だった建物は、松尾芭蕉と弟子の曾良が泊まったことでも知られているそうです。通された二階の一室で『この部屋で 芭蕉も鮭を 食べたかな』とポップな句を詠んでいたところ、次々とお料理が運ばれてきました。この日頼んだのは全11品のコース。鮭の生ハム、鮭の白子の寒風干し、鮭の酒びたしとまさに鮭づくし。店員さんの丁寧な説明に耳を傾けながら、目の前の七輪の上の塩引鮭が焼きあがるのを待ちます。これまでの人生、これほどまでの熱視線で鮭を見つめたことがあったでしょうか。三面川を遡上し、塩漬けにされ、寒風にさらされ、ここまでよく頑張りました。自然の恵みと人々の手仕事に感謝をして、あなたを美味しくいただきましょう。そして焼きあがった鮭を、土鍋からよそった炊き立てのごはんの上にのせ、口に運びます。ああ、シオ、ビキ、サケ…。何という芳醇な味わいよ。そして、この米の美味しさよ。溢れる多幸感。怠惰な私には余り有るご褒美となりました。村上の塩引鮭に出逢わせてくれた立川志の輔さん、ありがとう。その落語に誘ってくれたNさん、ありがとう。そのNさんと知り合ったスペイン語教室、ありがとう。そしてスペイン語を勉強しようという気持ちにさせてくれたダビド・シルバ、ありがとう。塩引鮭からダビド・シルバまでが、かなりの近道でつながったことに驚きますが、何はともあれ最高のご褒美となりました。
2025.3.24 配信
日本の女優、作家。東京都出身。
大学在学中の1997年、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、女優として活動。
最近は小説やテレビドラマの脚本執筆など、活動の幅を広げている。
著書に『色鉛筆専門店』『しょーとほーぷ』『ワクちん』『バンクーバーの朝日』などがある。
オフィシャルサイト→FLaMme official website