ハノイにて│西山繭子の「女子力って何ですか?」

西山繭子の「女子力って何ですか?」

Writer

西山繭子

#269

ハノイにて

2025-06-23 10:14:00

 扉を開けて裸足でバルコニーに出ると、ひんやりとしたタイルが心地良く、足の裏から身体が目覚めていくようです。その足先には昨日塗ってもらったペディキュアのピンク色が鮮やかに光っています。あたりには鳥のさえずりと共に、まだ朝の5時を回ったばかりだというのにバイクの甲高いクラクションの音。大きくのびをして、目の前の緑に目を向けると昨夜降った雨の雫が滴り落ちていました。6階のバルコニーまで届くこの大きな木はドライマホガニー。フランス領時代に、同じくフランスの統治下にあった西アフリカから輸入されて植えられたそうです。その長い年月の間、大木はこの国の歴史をどんな風に見つめてきたのでしょう。
 みなさん、こんにちは。ハノイでバカンス中の西山繭子です。こうして原稿を書いているので厳密には休暇ではありませんが、これは〆切前倒しでハノイ旅行までに原稿を終わらせるという目標を遂行できなかった己の責任です。しかし旅先で原稿を書くのは嫌いではありません。「今」を描けることや視点の変化といったこともありますが、一番大きいのは「作家っぽい」ということに尽きます。以前、父がバルセロナ空港の搭乗口で飛行機を待つ僅かな時間にも筆を走らせる姿に、スタッフは皆「先生、こんなところでまで大変ですね」と口を揃えました。私は「本当ですよね」と忙しい父親を心配する優しい娘をよそおいながらも、胸のうちでは「へいへーい!作家ぶってるー!」と思っていました。というわけで私も作家ぶりたいと思います。今回もいつものように一人旅ですから時間はたっぷりとありますし。
 往路の機内、私の隣は日本で9年間暮らしているというベトナム人女性でした。語学学校、専門学校を経て現在は那須で働いているという彼女。「すごいですね。那須かあ。長野県」「栃木です」47年間ぬくぬくと自国で暮す上に、どこまでもバカなおばさん。彼女いわく「ハノイはビルがたくさんあって東京とあまり変わらないので、時間があればサパかニンビンがお薦めです」とのこと。「そうなんですね。チェックしてみます」と言いつつ、今回の旅行はハノイから動く予定はなし。有名なハロン湾クルーズにも行きません。初めて訪れる国なので、ゆっくりと腰を据えて1つの街を見てみたいという気持ちがあります。こういう時にいつも頭をよぎる言葉は「何でも見てやろう」。小田実の本のタイトルですね。そうして何でも見てやろうと意気込んでいる私なのですが、ハノイという街で何でもを見るのは命懸けだということが初日にわかりました。その理由は、街を縦横無尽に爆走するバイクです。体感としては、人口よりもバイクの方が多い街。特に旧市街はカオスです。バイクを避けるために歩道を歩きたくとも、そこにもバイクがびっしり停められており、車道を歩かざるを得ないのです。そこをスレスレの距離で家族4人乗りのスクーターが猛スピードで走っていきます。信号が青の横断歩道を渡っていても、彼らは容赦なく突っ込んできます。ここ数年、交通ルールの秩序が保たれた国しか訪れていなかった私は困惑するばかり。どうしよう、このままではバイクに脅かされてハノイの旅が終わってしまう。そうだ、ここは一つバイクとお近づきになろうではないか。映画『ゴッド・ファーザー』でマイケル・コルレオーネは言いました。「友は近くに置け、だが敵はもっと近くに置いておけ」。ということで、バイクタクシーを利用することに。実際に使ってみての感想は、まずはとても便利だということ。Grabというアプリで行き先も支払いもすべてが完結するので、言葉を必要とすることもなく、また旅人を悩ますぼったくりに遭うようなこともありません。そして涼しい。ハノイの風を頬に受けて走るバイクは、とても気持ちが良く『青いパパイヤの香り』の世界を彷彿とさせます。しかしそれも束の間のこと。デメリットは運転がすこぶる怖い。場合によっては歩くよりも汗をかきます。ハノイのバイク乗りは全員が攻めの姿勢。常にクラクションを鳴らしながら、どんな隙間も見逃しません。この国民性がベトナム戦争に勝てた理由だろうかなどと考えながら、振り落とされないようにしっかりとタンデムバーを握りしめていました。ちなみにこのGrabを使う前にネットで体験談を読んだところ、ドライバーが若くて可愛い男の子ばかりだという記事がありました。しかし私のもとに来たドライバーは3人中3人が、前歯の抜けたおじさんでした。ひょっとしてアプリの設定が「前歯なし」になっているのではとチェックしましたが、そんな設定はありませんでした。ああ、前歯の話を書いていたら、あっという間に文字数に。ハノイの良さがまったく伝えられていませんが、人はとても親切で、フォーもバインミーも美味しいです!

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2025.6.23 配信

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西山繭子さんINFORMATION

日本の女優、作家。東京都出身。
大学在学中の1997年、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、女優として活動。
最近は小説やテレビドラマの脚本執筆など、活動の幅を広げている。
著書に『色鉛筆専門店』『しょーとほーぷ』『ワクちん』『バンクーバーの朝日』などがある。

オフィシャルサイト→FLaMme official website