馬喰町・横山町—問屋街今昔
2013-06-18 14:29:00
馬喰町や横山町は10年程前には訪れることのなかったエリアだ。問屋街のイメージが強く、自分とは縁のない街という感覚が、実際の距離以上にこのエリアを遠いところと思わせていた。ご存知のように、ここ数年で素敵な店も増え、そのうちの数軒は浅からぬ関わりがあることもあり、現在は心的距離感は俄然縮まっているのだが。
馬喰横山駅という駅名があるおかげで、一緒に見られがちな馬喰町と横山町であるが、その出自は若干異なる。馬喰町は、その字面からも窺い知れるように、古くは馬市の立つ街であった。慶長7年(1602年)には馬の売買に関して、馬喰町以外では禁止する旨の立て札があったそうである。馬喰町という呼び名になったのは正保年間(1644-1648)。それ以前は博労(ばくろう=馬の善し悪しを鑑定し、売買の仲介をする人)の頭が居住していたことから、博労町という名前であった。明暦の大火(1657年)を経て、浅草御門に郡代(幕府直轄地の行政を担当する職)の屋敷が置かれると、それまで馬喰町を訪れていた各地の博労に加えて、地方からこの郡代を訪問する公事師も増加し、馬喰町は旅籠街として栄えることとなった。興津要『江戸小咄散歩』(中公文庫)の馬喰町のページに再録されている「雷のやど」という小咄が、これからの季節にぴったりなので紹介しておこう。雷様が馬喰町に落っこちてしまい、雲と離ればなれになったので2、3日泊めてくれ、と宿屋にお願いをする。宿屋の亭主はお安い御用と引き受けるが、夜になって、宿の大家から変なのを泊めるなと苦情が入り、申し訳ないが明朝早々に発ってくれと雷様に言う。すると雷様「それは、あんまり急じゃ。どうぞ夕立ちにしてくれ給え」。
馬喰町1丁目あたりの路地。軒先に並んだ鉢植えと日よけのすだれが懐かしい雰囲気。
このように旅館街として発展していった馬喰町とは異なり、「新道通り」を隔てたところにある横山町は、当初から問屋街であった。明暦の大火で築地に移転した西本願寺別院は元々横山町にあり、その跡地が町屋となって、そこに問屋が出来ていった。小間物、紙、薬、呉服、瀬戸物、塗物など様々な問屋が軒を連ね、横山町に商品を仕入れにくる商店の人々は、隣町の馬喰町に宿を取り、相乗効果で賑わいを見せたということである。この傾向は明治時代も続くが、大正3年(1914年)の東京駅開業とその後の関東大震災の影響により、馬喰町の旅館は殆ど姿を消し、現在のように馬喰町、横山町ともに問屋街としての顔を持つことになったのである。
「新道通り」のサイン。商いに成功する人が多かったことから「出世新道」の俗称があるとか。
冒頭に「浅からぬ関わり」と書いた。その店とはカフェ兼定食屋「フクモリ」と、その姉妹店であるブックカフェ「イズマイ」のことだ。先頃めでたく4周年を迎えたフクモリは、開店前から縁があり、イズマイは現在隔月でトークイベントをやらせてもらっていて、非常にお世話になっている。今回、この界隈を徘徊したのもイズマイで打合せを終えた後のことだったのだが、これだけ何度も足を運んでいるのに、フクモリとイズマイの周辺しか知らないことにはたと気づいたからだった。
「イズマイ」入口周辺。ミートパイをはじめとする軽食のほか、三田修平氏セレクトの書籍も。
ひとまずイズマイの脇の道に出て、適当に角を曲がったりしていたら、馬喰町と横山町の境を走る新道通りに出た。衣料品問屋ばかりだと思っていたこのエリアには、江戸時代にもあった紙問屋もあれば、パーツだけを売る店、帽子屋、傘屋、呉服問屋など、多くのバリエーションが存在することに驚く。軒先には、「素人お断り」や「現金卸売り専門店」と書かれた看板や張り紙。これまで通ってこなかった問屋街は、思っていた以上に人がたくさん歩いていて、まさに「商いの街」という印象であった。少し脇に入ると、ここで働く人々の胃袋を満たす飲食店も色々あり、頼もしい。新道通りと平行して走る「横山橘通り」は、かつて西本願寺別院の門前で橘を売る店が多かったことに由来しているそうである。
髪留めの鮮やかな色合いに目を奪われる。ちょっとキッチュな雰囲気も問屋街ならでは。
問屋街から、江戸通り、清澄橋通りという大通りに出ると(この一帯は道路が碁盤の目状になっている)、建設中のマンションを見かける。聞けば、ここ数年で大型マンションの新築も増えたそうだが、「生活を楽しむ場所」がまだまだ整っていないという。先のフクモリやイズマイ、また益子に本店のある「starnet」、隣町の岩本町の「OnEdrop cafe.」のように、この地域を代表する店がもう少し増えていったり、あるいは、問屋街の活気や伝統と新興の住宅を繋ぐような場所、店が出来ると、まだまだ面白くなりそうな予感がする。来街者、暮らす人、働く人が一緒に楽しむことが出来る場所作り、店作りは、元々おそらくは職住一致、そして旅籠街であったこの地域に相応しい取り組みではないだろうか。
5月で4周年を迎えた「フクモリ」。中島ノブユキ氏のピアノ演奏会なども定期開催している。
今回取り上げた馬喰町をはじめ、神田明神、目黒不動尊、両国橋といった江戸の町名、名所の姿を、当時の小咄や川柳から繙く一冊。/
『江戸小咄散歩』興津要(著)中公文庫刊
BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。
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