渋谷・宮益坂―なんとなく他人事めいて
2013-09-05 13:01:00
昨年下期は、月に一度のペースで青山学院大学大学院を訪れていたので、校舎から渋谷駅方面に向かう際には、宮益坂を下っていくことが殆どだった。校門を出て、青山通りの反対側に渡り、青山ブックセンターで書籍を購入したり、「FOUND MUJI」を覗いてみたりしつつ、宮益坂方面に向かう。青山学院周辺を歩いていると思い出されるのは、パイド・パイパー・ハウスというレコード屋のことだ。骨董通りにあったこの輸入レコード店に、最初に行ったのは中学校のときだったか。音楽好きの兄のいた同級生と一緒に行ったように思う。その後、1988年の閉店までの期間、何度か足を運び、ソウルのレコードなどを買った。それから、もうひとつ思い出すのは『なんとなく、クリスタル』である。田中康夫が一橋大学在学中の1980年に執筆し、第17回文藝賞を受賞した小説だ。
主人公である由利は、大学生でありモデル。作品中に明示はされていないが、おそらく青山学院大学をイメージして書いたものだろう。ファッションでも何でも同じものを買うなら気分のいい方を選ぶ、という主人公のライフスタイルは、発表当時「ブランド主義」などと揶揄されていたが(その部分に影響を受けたフォロワーは「クリスタル族」などと呼ばれた)、70年代までのアメリカ文化一辺倒だった日本から脱却し、多様性のある時代に突入したという風にも読める。今となっては、随分当たり前のように思えるこうした消費行動は、この頃から始まったのだ。冒頭に挙げたパイド・パイパー・ハウスもこの小説には登場するが、ここだけで買うわけではなく、買うものによって店を使い分けているということからも、そうした多様性を窺い知ることが出来る。いわゆるメガストア登場以前の話である。
このあたりのシンボル、こどもの城の『こどもの樹』は、岡本太郎の作品。子どもたちが個性を発揮し、のびのびと成長してゆくことを、豊かな表情の顔で表現している。1985年制作、同年設置。
さて、宮益坂に話を戻そう。2015年に閉館することが決まった「こどもの城」を過ぎて、右前方に折れると宮益坂だ。坂の上に立つと、渋谷駅まで真っ直ぐ見渡せる。かつては、ここから富士山が見えたそうで、江戸時代までは富士見坂と呼ばれていた。江戸から相模国大山の大山阿夫利神社に詣でる参詣者が通った大山道(赤坂から青山、渋谷、三軒茶屋、溝口、長津田、厚木などを経て、大山に通ずる道で、別名青山通り大山道)でもあり、立場(たてば)として茶屋などの休憩施設があったことから、現在の渋谷のなかでも、早くから賑わいのあったエリアが宮益坂である。駅を目指して、何の気なしに下っていってしまうと、これといって足を止めるものがないように思われがちな宮益坂だが、ゆっくり歩いてみると色々発見がある。まず、坂の右手中腹にある「宮益御嶽神社」。通りに面して鳥居があり、そこから急勾配の階段を登った先の鳥居の奥に本殿がある。三方が高いビルに囲まれている、何とも不思議な空間だが、ビルが建つ前はさぞかしいい眺めだったのではないだろうか。富士山も見えたに違いない。
宮益坂から第一の鳥居をくぐり、階段を登った先にある宮益御嶽神社。左手側には、明治天皇が休憩に立ち寄った旨が書かれた札がある。現在も、例大祭、酉の市などが開催されているそうだ。
この宮益御嶽神社で興味を惹くのは、狛犬だ。ここの狛犬はニホンオオカミなのである。絶滅種であるニホンオオカミは、古くから「大口真神」などと呼ばれ崇められていたという。農耕民族にとって、田畑を食い荒らすイノシシやシカを退治してくれるオオカミは、非常に大切な存在であった。そんなことから考えると、オオカミ信仰(オオカミ=大神)というのも頷ける話である。現在でも、この宮益御嶽神社のほか、埼玉県秩父地方にオオカミ信仰は根強い。
宮益御嶽神社の狛犬。本文に書いた通り、ニホンオオカミである。公式情報に拠れば、鎮座年歴は不明だが、延宝年間(1673~81)の作品だそう。年月を経て損傷甚だしくなり、現在はブロンズで新たに制作したものがお座りになっている。
坂のこちら側には、横に入る道が何本かある。真っ直ぐな道でなく、グイッとカーブしていたりするので、思いがけないところに出たりするのが面白い。古くからありそうな飲食店も、このあたりには散見される。明治通りに面した「渋谷ボウル」裏手のエリアにあたるこの周辺は、会社が多いのだろうか、昼間はビジネスマン風のひとをよく見かける。わたしもたまに訪れる喫茶店「羽當」もこの界隈だ。いつ行っても賑わっているこの店は、お客さんの年齢、性別もバラバラ。それぞれがそれぞれの楽しみを持って、ここを訪れている感じがするのがいい。
喫茶店「羽當」の入口あたり。間口は狭いが、L字型の店内は程よい広さである。手入れの行き届いたカウンターでコーヒーを淹れるのを眺めながら、という楽しみのある店だ。サンドウィッチやケーキ類も美味。
確か、渋谷駅方面への近道があったはずだ。そう思って、記憶を頼りに坂の反対側に渡ってみる。銀座線のガードをくぐるような感じだったと考えていると、果たせるかな、それらしき入口を見つけた。そうそう、こんな感じだったと思って足を進めると、突き当たった先には「ヒカリエ」の入口が。そうか、こちら側はヒカリエがこのあたりまで迫っているんだ。秘密の抜け道風な佇まいが気に入っていただけに、少し寂しい気持ちになった。もう一度、宮益坂に戻り、宮益坂下、つまり渋谷駅の前あたりまで出た。駅周辺の工事はまだまだ進行中だが、妙にがらんとスッキリした感じがして、それはどことなく写真で見た、都電が走っていた頃のこの場所のイメージと重なるものであった。わたしが生まれた年は、都電はまだ道路の真ん中を走っていたのだ(当然、記憶にはないが)。
かつての渋谷駅方面への近道。奥に見えるのは「ヒカリエ」の入口だ。古びた天井(おそらく銀座線のガード)と、最新の商業施設の出会い(この入口は比較的空いている様子だ)。
宮益坂界隈は、駅前や公園通りと違って、東急や西武、PARCOといった大型商業施設がない。そのためか、あまり印象も変らずに現在に至っている。勿論、商店だったところがビルになったりはしているのだが、それでも建物ひとつひとつの間口が狭く、ぎっしりと並んでいたような、昔の宮益坂の雰囲気が感じられるから不思議である。どんどん新しい顔になってゆく渋谷を、坂の上から宮益坂は、なんとなく他人事めいた調子で眺めている。
女子大生・由利のことばや行動、考え方を通じて、80年代以降の「傾向」を示した、田中康夫の処女作。当時は軽薄なイメージで捉えられることが多かったが、消費の多様化、パーソナル化を予見し、また、主人公の抱える不安や寂しさは彼女が年を取ったときに感じるであろうそれを予告するものではなかったか。本文のほか、著者による442もの註があるというのも話題になった。/
『なんとなく、クリスタル』田中康夫(著)新潮文庫刊
BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。
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