神田・神保町―ショーケースとしての街
2013-09-18 03:36:00
一人っ子だったことも手伝って、子どもの頃から本好きだった。絵本、図鑑、聖書が小さいときの定番で(幼稚園がキリスト教だったので)、小学校に入ると江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや、シャーロック・ホームズなどの探偵小説に手を染め、漫画も読むようになった。そんなわけで、物心ついたときからずっと、何かしら読んでいるし、自分で文章を書くようになってからも、本を資料とすることが圧倒的に多い。
神田・神保町は世界でも類を見ない古書街だ。古書店、新書を扱う書店合わせて180店舗ほどあるそうである。本以外にも、中古レコード屋もあり、お茶の水まで足を伸ばせば楽器店だってある。日がな一日居ても飽きることがないどころか、いつも時間切れで廻りきれない(書店の店じまいは早いのだ)。
神田・神保町の老舗のひとつ「矢口書店」。創業は1918年。当初は哲学書などが中心だったが、1975年に映画、演劇、戯曲関連にシフトしたそうだ。
神保町の歴史は、後に大学となる法律学校の創立が関係しているそうだ。法律学校の学生や研究者相手に専門書を扱う書店が出来てきたのが1880年頃。折しも明治維新から近代化へと向かってゆく最中、それに則した法整備が急務とされていた時代である。この頃から新刊だけでなく、学生も入手しやすい安価な古本も売買されていたということだ。1913年、この界隈(当時の小川町)が大火で焼失した跡地に岩波茂雄が開いた古書店が、現在の岩波書店となる。「明治維新以後、ほぼ半世紀を経て、ようやく近代化の基礎を固めつつあった日本では、立憲主義と民主主義に基づく新しい政治を求める運動が起きていました。いわゆる〈大正デモクラシー〉と呼ばれる時代です。この時代の精神の息吹を受け、また、時代の新しい精神を開く志を掲げて、岩波書店は1913年、神田神保町に生まれました」(岩波書店ホームページより抜粋)ということからも分かるように、この頃の神保町は学術書や専門書、文芸、哲学といったジャンルの取扱いが多かったのではないだろうか。1920年には東京古書籍商組合が設立、翌21年には与謝野晶子も創設に携わった専門学校「文化学院」が駿河台に開校し、このあたりに芸術の風が吹くようになったことで、書店の品揃えもそれと足並みを揃えるように多様化していった。関東大震災後には靖国通り(当時は「大正通り」)が開通し、太平洋戦争の空爆も逃れることができた。この頃になると、現在の神保町とさほど大きな違いはないといってよいだろう。
すずらん通りにある、歴史を感じさせる建物。1Fには飲食店が入っている。こうして通りの反対側を見上げると、建物の様子が分かって面白い。
地下鉄を下りて、地上に出る。靖国通りと白山通りが交わる神保町交差点。わたしの神保町巡りはここからいつも始まるのだが、大体が遅い昼食を摂ることからスタートする。神保町といえばカレーである。「ボンディ」か「共栄堂」か「エチオピア」。たまに気分を変えて「ラドリオ」でナポリタンもいい。いずれも食事のあとは喫茶店でコーヒーを飲む(ラドリオの場合はそのままコーヒーもいただく)。この時点で15時半あるいは16時である。先に、書店の店じまいは早い、と書いたが、店じまいが早いのではない。自分が遅いのである。
「エチオピア」の模食。辛さを0~70倍まで選ぶことが出来るが、例えば10倍と11倍の差がどの程度あるのかは気になるところである。
一息ついたら、靖国通り沿いから攻めることが多い。靖国通りの殆どの書店が通りの南側に位置している(つまり北側に向かって入口を開いている)のは、日差しによる色焼けを防ぐためだそうだ。靖国通りの一本裏手のすずらん通りも元々はそうだったようで、そういわれてみると古い店は南側、新しい店は北側になっているように思う。
軒先には、ワゴンに入った本や、紐で括られた全集もの。あるいは、壁伝いに古書がぎっしり詰まった書棚を設けている店。何の気なしに通り過ぎると当たり前の光景だが、街全体がショーケースのようになっているのが神保町の特徴のひとつである。外に出されている本の多くは、比較的安価な、つまり一般発売のときによく売れたが手放すひとも多い、というものだが、稀に面白いものがあるから侮れない。こうして入口あたりを覗き、店の奥まで入って吟味していると、日に数軒しか廻れないことが殆どである。夜が近づき、開いている店が減ってくると「ミロンガ」や「伯剌西爾」などでコーヒーをいただき、神保町巡りは終る。
靖国通りを専大前交差点方面に向かう途中にある古書店の壁面。先の「矢口書店」よりも雑多な品揃えであることが背表紙からも伺える。まさにショーケース。
靖国通りの北側のエリアは、ちょっとした飲屋街もあり、古書街とはまた違った雰囲気だし、すずらん通りの南側には、昔ながらの家並みが残り、ひとの暮らしがある。また、適当に裏通りを歩いていると、出版社の入居するビルがあったりして「あぁ、あの本はここで作られていたのか」と思うこともある(大手出版社だけでなく、比較的小さな規模の出版社も神保町には多いのだ)。週末の古書街の賑わいも勿論楽しいが、裏通りの静かな雰囲気もまたよいものである。10月には恒例の「東京名物神田古本まつり」が控えているし、「エチオピア」の裏手のロシア料理屋も気になる。神保町交差点の和菓子屋「亀澤堂」では、先日より豆大福の販売が開始された(夏場は傷みやすいので作っていないそうである)。今度この街を訪れるときは、少しだけ早起きしようと思う。
すずらん通りから少し裏手に入ると、このように静かな昔ながらの住宅街がある。来街者の方が圧倒的に多い街ではあるが、ここにも生活はある。
本文とは直接関係ないが、直近に神保町で購入した一冊。ベンヤミン著作集のなかの一巻である本書は、モスクワやナポリといった都市を実際に訪れたときの印象や心の動きが正確に綴られている。エッセイ「食物」は短いながら白眉。/『都市の肖像』ヴァルター・ベンヤミン(著)川村二郎(編)晶文社刊
BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。
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