浅草橋―優しい風が吹く問屋街、花街│BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

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BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

#015

浅草橋―優しい風が吹く問屋街、花街

2013-11-15 16:28:00

縁のある街、ない街というのがある。例えば、代々木などは事務所から近いけれどもなかなか訪れることがないのだが、一方で今回取り上げる浅草橋は、家からも事務所からもまったく近くないのになぜかここ数年で幾度か足を運ぶ機会に恵まれている。街に縁がある、と書いたが、街そのものに何かをしに行くというわけではなく、そこで働くあるいは暮らすといった、何か為すひとがその街にいるから足を向けるわけで、そう考えると自分はひとに縁があって、街に縁があるのはそこにいるひと、と言えるのかもしれない。

この日の浅草橋訪問は、イラストレーターの黒坂麻衣さんが個展を開催しているということがきっかけだった。せっかく行くのなら色々と周辺を歩き回ってみよう、そう思って総武線の駅を下りた。都営浅草線と接続していない西口改札を抜け、駅前に出る。総武線の浅草橋駅は高架になっているので、いわゆる高架下があるのだが、まずここが楽しい。喫茶店、立ち呑み屋、蕎麦屋、エスニックレストラン、ピッツェリアなど、様々なジャンルの飲食店が並び、それとともに、ビーズや天然石、レザー、服、小物などの問屋を、高架下およびその向かい側に見ることが出来る。ここから、高架に沿って東口方面に歩くと、江戸通りだ。

image2 高架下周辺の問屋では、前述の通り、実に様々なものが商われている。こちらはウィッグ。小売りをやっているところとそうでないところがあるので、注意されたい。

江戸通りの、神田川に架かる「浅草橋」から蔵前橋通りのあいだにも、高架下と同じように多種多様な問屋があり、「江戸通り問屋街」と呼ばれている。ここで目を引くのは、人形店だ。「吉徳大光」「久月」といった、日本を代表する人形店が本店を構えているのである。
江戸で最古の老舗として知られる「吉徳大光」の創業は1711年(正徳元年)。初代治郎兵衛が今の場所(当時は江戸浅草茅町)に人形玩具店を開き、徳川六代将軍家宣から「吉野屋」の屋号を賜った。六世以降は、徳兵衛の名前を名乗り、以後代々この名前が受け継がれているという(現在は十二世)。江戸時代にはひな祭りが盛んで、雛人形や関連の道具を商う店が出店する「雛市」が立っていたのだが、このなかでもとりわけ有名だったのが日本橋十軒店(じっけんだな)の雛市だ。後に「吉徳大光」となる「雛人形手遊問屋 吉野屋徳兵衛」は、ここに常店を構えていた。

image3 江戸通りにある「人形の秀月」のショーウインドウ。駅周辺には、外国人観光客向けにこれらの人形店の店名をローマ字で表記した案内がある。

江戸通りと隅田川のあいだのエリアは柳橋と呼ばれる。南側は、神田川が隅田川に注ぐ手前の「柳橋」、北側は蔵前橋通りである。この地域は、江戸時代には古着商が多く存在し、そしてまた花街としてもよく知られていた。幸田文が芸者置屋に女中として働いた経験をもとに記した小説「流れる」には、花柳界で生きる人々、そしてやがて訪れる没落が描かれているのだが、このなかで、この土地の特徴が語られている。「どうしてこう一ツが快く通るかといえば、この町をかたちづくる大部分の住人は芸者さんだからである」。一ツというのは一人前、一人分ということで、たとえ一つ屋根の下に暮らしていようとも、個々がただ集まっているだけ、ということだ。つまり柳橋界隈は基本的には家族ではなく女性の単身者の土地であった。なるほど言われてみれば、天麩羅屋や寿司屋といった、昔ながらの単身者向けの店が、浅草橋には今も多いのである。

image4 総武線の高架下を筆頭に、写真のような気軽に一杯飲める飲み屋や、立ち喰いの寿司屋、天麩羅屋などが軒を連ねる。問屋街だけでなく、食も浅草橋歩きの楽しみのひとつである。

いつものように、目的を定めずふらふらと街を彷徨っていたところ、道の先から自分の名前を呼ぶ声が聴こえた。おや、こんなところで誰だろう? と近づいてみると、日傘作家で〈Coci la elle〉というブランドをやっているひがしちかさんだった。聞けば、テーラーにお直しを取りにいくところだという。ひがしちかさんは、以前この浅草橋にアトリエ兼住居があり、ちょうどその向かいにテーラーがある。そのテーラーに行くところだったのだ。前にこのあたりを訪れたときから、そのテーラーの存在が気になっていたわたしは、「一緒にどうですか?」というちかさんのお言葉に甘えてついて行くことにした。

image5 ひがしちかさんに連れていってもらった「テーラー大塚」さんの外観。もう店じまいをする時刻であったが、快く店内に招き入れてくださった。筆記体の「Tailor Ohtsuka」の文字も凛々しい。

お邪魔してきたテーラーは「テーラー大塚」さんという。この場所で仕立てを生業として三代。現在、ここを切り盛りしている大塚さんのおじいさまの代からやっているそうだ。こぢんまりとした店内には、これまで作ったジャケットやベスト、イギリス産の打ち込みの良い生地の反物が所狭しと陳列されている。シャツにベスト、その上からカーディガンを羽織り、ボトムはシンプルなライトグレーのスラックス、頭にはベレー帽が載っていて、わたしなどが言うのもおこがましいが実に洒落た出で立ちの大塚さんは、テキパキとちかさんの修理上がりを運んできた。修理の品は、古着のちょっと変ったかたちのワンピースをコートに仕立て直したものだった。試着してもらいながら、どこをどう仕立てたかを事細かに説明している様子を傍で見ていたのだが、元の服の特徴を生かしながら、ちかさんにとても似合うスタイル(かなりユニークなかたちのコートだ)に仕立てていて、素晴しい仕上がりであった。
「メンズの服はかたちが決まってるでしょ。わたしはね、もっと自由にデザイン出来るからレディースの方が好きなんです。」大塚さんはそう仰っていたのだが、店内にあるメンズのジャケットなどを見るにつけ、しっかりとした英国的な仕立てのなかにどこか柔らかさのある、強いていうなら、フランス的なテーラードの匂いを感じて、これまた唸るばかりであった。43年前に作ったという〈DORMEUIL(ドーメル)〉の赤黒のハウンドトゥース生地の4つボタンダブルブレストのジャケットなど、今見ても十分スタイリッシュなものである。

image6 「テーラー大塚」さんの店内に飾ってあるジャケット。上衿に持ち出しのついたハンティングジャケット風のディテールだが構築的な仕立て。生地や裏地選びからどこか柔らかな印象を受ける。

色々と説明していただいたあと、「よかったら晩ゴハン食べていってください」と仰っていただいたが、次の予定もあったのでお気持ちだけいただいて辞してきた。こうしたやりとり、今ではなかなかない。
人情などと軽々しく言うつもりはないが、この街はどこか優しい空気が流れている。思えば、一人前でも快く売ってくれたり出前をしてくれたりするのも、単身者への優しさではなかったか。いつになくこころが温かくなりながら、冬が間近に迫っていることを感じさせる風の吹く街をひとり歩く。温かくなりついでに身も暖めようと、予てから目星をつけていた喫茶店に向かったが、ちょうど店じまいの時間であった。
「あれもこれもではなくて、あれかこれか、あるいはせいぜい、あれとこれ。心あてにするのは一日に一つか二つ。今日はこれ、このつぎにあれ。あとはその日の流れにまかせる」(池内紀『東京ひとり散歩』「はじめに」より)。
なるほど。
閉まっていたことを嘆くより、次回また訪れる口実にもなるではないか。

image7 模食からして気になる喫茶店。浅草橋にはこうした昔ながらの喫茶店も多い。地元の方はやはりモーニングだろうか。次回は必ず立ち寄りたい。



関西の城下町に生まれたドイツ文学者、エッセイストの池内紀が「足の向くまま」ひとり東京をそぞろ歩いた一冊。今回取り上げた浅草橋に関する項もある。/『東京ひとり散歩』池内紀(著)中公新書刊

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青野賢一さんのINFORMATION

Writer

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。

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