門前仲町―川面から桜を眺める│BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

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BEAMS 青野賢一の「東京徘徊日記」

#020

門前仲町―川面から桜を眺める

2014-04-14 12:06:00

最初に種明かしをしてしまうと、今回は案内役がいる。門前仲町でアジア、ヨーロッパ、そして日本の伝統的な織物とアクセサリー、陶器やガラス製品などを取扱う「watari」という店を営む小林紀子さんから「お江戸深川さくらまつり」があるので行きませんか、とお誘いを受け、お言葉に甘えて案内してもらったのだ。そんなことで、東京の桜が満開となったとある土曜日の午後、門前仲町駅に降り立った。
年配のグループ、30代と思しき家族連れ、カップル……土曜日ということもあり、人出が多い。とはいえ、渋谷や原宿のような慌ただしさはなく、どこかのんびりしたムードが漂うのは下町だからだろうか。まずは「watari」のある牡丹三丁目方面へ向かうために大横川に架かる巴橋を渡る。大横川の両端に立ち並ぶ桜が眩しい。大横川は、川と表記されているが実は運河。人工のものだ。1659年(万治2年)に開削された大横川は、現在の地図で見ると横ではなくむしろ縦に走っている印象があるが、江戸城を基準に、つまり江戸城を上方に置いて地図を作成すると(江戸時代の地図はそうであった)横向きに流れていることから、この名がついた。川幅は20間(36メートル強)。かつてこの大横川は、木場の材木をはじめ、近隣に暮らすひとびとの生活物資を運搬する重要な「道」として機能していたという。さすがは水運の街・江戸=東京である。

image2 巴橋からの桜。この日は運良く好天に恵まれ、人出も相当なものであった。大横川の両岸は数百メートルに渡り桜並木となっている、都内でも有数の桜の名所である。

この日のメインイベントは、大横川を和船に乗って遊覧するというものだったのだが、その前に近隣を案内してもらうことにした。江東区牡丹の南側に隣接する、江東区古石場(ふるいしば)。木場が材木ならこちらは石だ。江戸城築城の際、石置き場として使われていたことに由来する古石場にも古石場川という小さな川(水路)が流れており、両岸は古石場親水公園としてのんびりとした空気を湛えている。この水路には幾つか橋が架けられているのだが、そのうちのひとつに小津橋というものがある。映画監督・小津安二郎は1903年(明治36年)東京市深川区亀住町一丁目(現・深川一丁目)に生まれた。一度は三重に転居するも、1923年(大正12年)再び上京し、深川和倉町(現・深川二丁目)に住み、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社する。深川は、生誕の地であり映画人としてのスタートの地でもあるという小津安二郎ゆかりの土地であり、小津橋もそれにちなんで名付けられたものである。

image3 古石場親水公園の水路の上に架かる「小津橋」は、言うまでもなく小津安二郎にちなんで命名されている。近くの「古石場文化センター」には、小津安二郎に関する展示も。

水路沿いを歩き、牡丹町公園を通って大横川の河岸に下り、和船乗り場を目指す。桜も見頃ということで、乗船するまでに一時間ほど並んだ。和船は何艘か年代の異なるものがあり、私たちは最も古いものに乗り込むこととなった。乗船前にオレンジ色の救命胴衣を着用し、船着き場に戻ってきた和船に乗っていたひとたちと入れ替わりに乗船。定員はどの船も大体10名前後で、これに櫓を漕ぐ船頭さんがふたり付く。乗船場から黒船橋、石島橋、巴橋と進み、巴橋でUターンし船着き場に戻ってくるのだが、普段と目線の高さが変わるのが実にいい。両岸の桜を眺めたり、橋の裏側の構造を確かめたり、すれ違う別の和船に手を振ったりしているうちに、30分ほどの遊覧が終った。

image4 和船からの眺めは、当たり前だがご覧のようにかなり低い。画面中央やや右に写る橋は石島橋。白く見えるのは、焼鳥や甘酒を売る出店のテントだ。

門前仲町は「門前」とつく位であるから、門前町である。江東区が発行している「下町ぶらりMAP」に拠れば、門前仲町は富岡八幡宮の別当永代寺の門前町として発展し、かつては「深川永代寺門前仲町」という長い名称だったそうだ。和船から下りて、日が暮れるまではまだ少し時間があったので、我々は富岡八幡宮へと向かった。江戸最大の八幡様というだけあり、永代通りに面した大鳥居も堂々たるものだ。正面参道から境内に入ると左手には「日本一の黄金神輿」と呼ばれる神輿を収めた神輿庫や、測量旅行に出る前に富岡八幡宮に参拝していた伊能忠敬の像がある。

image5 富岡八幡宮の立派な本殿。ここは火事や関東大震災、そして東京大空襲で数回にわたり焼失するという憂き目にあっている。現在の本殿は1956年(昭和31年)に造営されたもの。

本殿でお参りを済ませ、本殿の右手に廻ると、巨大な石碑群が目に飛び込んできた。富岡八幡宮は、江戸勧進相撲発祥の地だそうで、この石碑群は、歴代横綱の四股名が刻まれている。現在も新横綱が誕生した際には、日本相撲協会立ち会いのもと刻名式が行われ、土俵入りも披露されるという。富岡八幡宮には、この横綱力士碑のほか、大関力士碑も存在していて、所縁の深さを窺い知ることが出来る。「勧進」とは、平たく言うと寺院の建立や修繕にかかる費用を賄う寄付のこと。勧進職という位に任命された人物が布教の一環として寄付を募り、寺、ひいては仏門の発展を目指したものだ。東大寺もこの方法により、1180年(治承4年)の南都焼き討ちから再建することが出来た。勧進相撲もこの観点から催されていたわけだが、見世物の流行とともに、寺社が江戸に暮らすひとびとの娯楽の拠点でもあったということを改めて実感した。

image6 「横綱力士碑」のひとつ。1900年(明治33年)、第12代横綱陣幕久五郎を発起人として歴代横綱を顕彰する石碑が建立されたのがはじまり。実物は相当大きく圧倒される。

17時過ぎ、小林さんが店に戻るというので富岡八幡宮で別れた。朝から何も食べていなかったので、清澄通りの方にある喫茶店でホットドッグとゆで卵とコーヒーをいただき、少しの時間、永代通りを中心に街を歩いた。いわゆるチェーン店ももちろん存在するが、どちらかというと目につくのは、何かしら専業でやっている商店の方だ。煎餅屋、天ぷら屋、鰻屋、甘味、立ち吞み屋、大衆酒場、喫茶店といった飲食店のほか、店先にものすごい数のセキセイインコがいるペットショップなどもあり、なかなか楽しい。日が暮れるとまだまだ冷える春の宵、身体を温めようと、創業明治40年という「深川伊勢屋」の喫茶室に入り、田舎汁粉を注文した。
桜が満開の時期にこうして門前仲町を訪れたわけだが、実は私は花見があまり好きではない。落語「長屋の花見」の枕ではないが、花見は、花見というよりは騒ぎにいく口実のように思えてしまうからだ。しかし、今回のように移動しながら見る桜は好ましい。和船から眺めた桜は普段見ることの出来ない位置からのものだったし、何より動力が人力の和船は静かでいい。帰る前にもう一度、巴橋まで行って、提灯の明かりに照らし出された桜を見た。これも静かでよかった。

image7 夜の巴橋からの桜は、提灯にライトアップされて、昼間とはまた違った趣がある。この河岸は宴会禁止なので非常に静か。心落ち着けて桜を愛でることが出来る。



名作落語を季節毎にまとめたシリーズのなかの一冊。「長屋の花見」「饅頭こわい」など、お馴染みの噺からは、江戸っ子の暮らしぶりや精神が垣間見れる。編者による解題もいい。/『落語百選 春』麻生芳伸(編)ちくま文庫刊

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青野賢一さんのINFORMATION

Writer

青野賢一

BEAMS クリエイティブディレクター
BEAMS RECORDS ディレクター
1968年東京生まれ。明治学院大学在学中にアルバイトとしてBEAMSに入社。卒業後社員となり、販売職を経てプレス職に。〈BEAMS RECORDS〉立ち上げや、ウェブ・スーパーバイザー兼務などの後、2010年より個人のソフト力を活かす、社長直轄部署「ビームス創造研究所」所属。執筆、編集、選曲、DJ、イベントや展示の企画運営、大学での講義など、BEAMSの外での活動を行う。著書に『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。

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