落とし物にはご注意ください│西山繭子の「女子力って何ですか?」

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西山繭子の「女子力って何ですか?」

#183

落とし物にはご注意ください

2021-11-22 10:56:00

 執筆時の足元が冬仕様になりました。湯たんぽの登場です。我が家にある備えつけエアコン以外の唯一の暖房器具。しかしたかが湯たんぽとあなどるなかれ、この銅でできた相棒の保温性たるやジェラピケの『ふわもこあったかショートパンツ』といったわけのわからぬものとは違うのです。まさに本物。匠の品。私の人生において有意義な買い物ベスト10をあげるとしたら、必ずやランクインすることでしょう。ちなみに他にランクインするものはエルメスのバーキンと、18歳の頃に購入しいまだ現役で愛用しているアディダスのジャージです。25年間かなりの頻度で着用しているにも関わらず、膝が出ることもなく良い状態を維持しています。私がこの世を去る際はぜひアディダス社に寄贈したい。断られると思うけど。そんな足元あたたかな私の心を、ここ最近、今年イチあたたかくしてくれたものがありました。それはBunkamuraシアターコクーンで上演中の『パ・ラパパンパン』です。もうこれが面白いの何のって!スタッフ、キャストともに錚々たる顔ぶれですから当然といえば当然なのでしょうが、これほど期待以上に、そしてこれほど幸せな気持ちになれる舞台には、なかなか出逢えないと思いました。その中でも松たか子さんの素晴らしさたるや!もう私はね、荷物をまとめて実家に帰ろうと思いましたよ。あれほどの才能を目の当たりにしたらね、同じ歳の役者としては心が折れそうにもなりますよ。23年前、ドラマ『じんべえ』で同級生役をやらせていただいた頃から松さんはスターではありましたが、その輝きは磨きに磨かれもう目がくらむほど。当時、好きな映画の話をしていて『バックトゥザフューチャー』と言っている私の隣で『ファーゴ』と答えていた松さん。15年ぶりにラジオ局のエレベーターで会った際、私なんかに『お久しぶりです』と笑顔で挨拶をしてくれた松さん。もう大ファンです。来年2月にやる『ラ・マンチャの男』は何が何でも観に行くぞ。
 とこんな風に興奮していると、人というのは注意散漫になるもので、しっかり者の私が先日、街で落とし物をしてしまいました。それは買ったばかりの東京メトロ普通回数乗車券です。このチケットレス化、ペーパーレス化の時代において、いまだ回数券を使っている私は希少な人間でありましょう。自動改札だって多くがICカード専用ですから不便なことも多いのですが、1枚おまけでついてくるのはやはり嬉しい。時差割や土休日割になるとさらにお得です。この日は新御茶ノ水駅で購入。そのうちの1枚を改札に通し、台本を取りに事務所に向かいました。あーでもないこーでもないとスタッフとおしゃべりに興じ、いつものごとく事務所にあるいただきもののお菓子をせっせと袋に詰め帰宅。ああ、今日も良き日でありました。私は帰宅するとすぐに荷ほどきをします。物が1つ1つ片付いていくのが気持ち良いので、この時間がけっこう好きだったりもします。文庫本は本棚に。ハンカチは洗濯カゴに。エコバッグはクローゼットに。そして回数券も、とごそごそ鞄のポケットに手を入れますが、どこを探しても見当たりません。しつこく何度探しても見当たりません。ああああああ!買ったばかりなのにいいいい!まだ1枚しか使っていないのにいいいい!私は大人なので、まだこれぐらいのダメージで済みましたが、もしこれがお母さんに渡されたお金で回数券を買った小学生だったらと考えると恐ろしくなりました。悲しみにくれながらも、ダメ元で新御茶ノ水駅に電話をします。「あのー、今日そちらで回数券を落としたかもしれなくて」と顔に縦線が入ったちびまる子ちゃんのテンションで要件を話す私に、駅員さんは「こちらの駅には届いておりませんが、他の駅もお調べしますか?」とすこぶる親切。そして「ではお手数ですが乃木坂駅も」とお願いしたところ、ななななんと!乃木坂駅にて親切な方が届けてくださったとのこと!回数券袋なんて落ちていてもスルーしてしまいそうなものなのに!仮に拾ったとしても中身はまだまだたっぷり10枚もあって誰でも使えるのに!ご親切に届けてくださった方が、このコラムを読んでいるとは到底思えませんが本当にありがとうございました。駅員さんの話では、落とし物をその駅で預かってくれるのは翌日まで、その後は飯田橋の総合取扱所に行き、そして「5日目以降は警視庁に」とのこと。「え!警視庁!?」ただの落とし物が、警視庁という言葉が出た瞬間に大ごとのように感じるのは私が庶民だからでありましょう。警視庁に取りに行くというのにも興味はあったのですが、ひょんなことから逮捕されたら嫌だなと思ったので、翌朝、乃木坂駅に取りに行きました。回数券購入で得をした189円を死守するために自転車で。片道25分をかけて自転車で。猛スピードのトラックが脇を通り抜けていく青山通りでペダルを漕ぎながら思いました。私が松たか子さんのようになれる日は一生来ないと。それでも私は私の道を進みます。回数券を握りしめながら。もう二度と落とさないと心に誓いながら。

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西山繭子さんのINFORMATION

Writer

西山繭子

日本の女優、作家。東京都出身。
大学在学中の1997年、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、女優として活動。
最近は小説やテレビドラマの脚本執筆など、活動の幅を広げている。
著書に『色鉛筆専門店』『しょーとほーぷ』『ワクちん』『バンクーバーの朝日』などがある。

オフィシャルサイト→FLaMme official website